妊娠する、妊娠しないの選択

「多様化」の一言に秘められた本当の意味と向き合う

私は「今という時代」に女性として複雑な気持ちを抱えています。

あえて子どもを産まない生きかたを選択するケースが増えているといいますが、その一方で思うように妊娠できず、生殖医療を頼るカップルも増えているそうです。

女性の働き方、生き方が多様になり、同時に晩婚化・晩産化が進行したためだと政府やメディアは主張します。しかし、子どもを産んで育てることは本人の意思だけではどうにもならない側面が強く、産まない生き方を「選ばなければならなかった」女性が少なくないと考えます。

産まない女性のなかでも、産みたくても産めない女性、経済的理由から妊娠をあきらめた女性、そもそも子どもを望んでいない女性、家庭環境が妊娠に適していないとあきらめる女性、パートナー理由の不妊症で子どもをあきらめざるを得ない女性がいるわけです。

女性の生き方が多様化したというこのフレーズには、妊娠・出産をはじめとしたあらゆるライフイベントにまつわる問題を「個人の問題に押し込める意図」が働いているのではないかという気がしてなりません。

社会は女性にも労働を求めています。

家庭を持てば妻、子どもが生まれればそこに母という役割が加わり、同時に家の外ではひとりの社会人として活躍しなければならず、社会生活を破たんなく継続していくには妊娠、出産、子育てに対する周囲からのサポートが必要です。

家族や職場からの理解を得られない場合、妊娠を期に職を失ったり、社会復帰の道が閉ざされたりという苦しい未来が予想されます。子どもを望む男女、特に、自分自身の命を懸ける女性にとっては厳しい社会情勢と言えるのではないでしょうか。

「日本の少子化が深刻な瀬戸際に立っている」と証明する統計結果が明らかになったのが1990年のこと。それから少子化対策が叫ばれるようになりましたが、人口減少にはいまもって歯止めがかからない状況にあります。いずれ妊娠をと望む女性は、さまざまな社会の矛盾や、間違った常識をひとつひとつそれと認識し、対処していかなければならないのです。例えば「避妊せずに夫婦生活を送れば自然と妊娠する」と思っている方については、その「常識」から見直す必要があります。もともとは正常に妊娠できた女性であっても、加齢によって妊娠しにくくなるという現象は自然に起こるものです。不妊症という症状が30代後半から男女に頻発しています。

妊娠するために何を行うべきか知ること。いつ妊娠するか計画すること。もし不妊症だったら治療を受けるのかどうか。受けるとしたらどこまでステップアップするのか。

妊娠中にするべきことを学び、出産後の健康のこと。仕事のこと。生まれた子どもをどう育てるのか考え、保育施設を利用するのか。利用するとしたらどうやって確保するか。いつ、どのような行政サポートを受けられるのかリサーチすること。

子どもを育てるだけの経済力を維持できるのか。

両親などのサポートを受けられるのか、あるいは両親の介護が必要になる可能性があるのかどうかなど、妊娠を望む女性の前には無数の問題が見えない壁として立ちはだかるでしょう。

どのような生き方を選ぶのも本人の自由とされる時代です。

さらに根本的に言うならば、生きるも死ぬも本人の自由。ましてや子どもを産むも産まないも「母親」の自由。その反面、状況が産むことを許さない女性に対しても「その状況に対する責任」が問われる「多様化」の現代。

私はまず医療や社会や健康を「妊娠」という観点で切り取っていきたいと思います。


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30代不妊治療について思うこと。不妊治療を知り、妊活から体外受精や顕微授精についてまで、自分のペースで調べていきます。